一 はじめに

 報告者は、大阪会所属のである。報告者は、神戸大学大学院に籍をおいて、様々な企業から派遣されている方々の報告を聞いてはつくづく感心し、法律のプロであるはずのとしての不勉強を反省している。
 今回、宮沢教授のロイヤーリングの講義で、WTO体制下の像に関する川村論文(「WTO体制下における業の法的枠組」あたらしい世紀への像・日本連合会編集委員会〔編〕有斐閣所収)の報告を担当したことから、像の将来像、とくにWTO下におけるそれを考察することになった。本稿の内容は、この時の発表のために下調べしたことが素材になっている。が、しかし 、それ以前に考えていたこともあったので、ちょうど良い機会でもあり、自分の考え方をまとめさせていただき、レポートに代えることにした。
 本稿の前半は、その性質上WTOの客観的説明であり、逆に後半は自分の考えにやや終始した感もあるが、それはそれで一興としてお読みいただければ幸いである。

二 WTOの意義

1 GATT(ウルグアイ・ラウンド)からWTOヘ 

 WTOは、World Trade Organization(世界貿易機関)の略称である。WTOは、従来のGATTが発展的に解消した結果、成立した国際機関であるといえる。
 もともと戦後の国際経済体制は、戦前のブロック経済が第2次世界大戦を引き起こしたとの反省から設立されたIMFとGATTによって支えられて来た。 1947年にGATT(関税及び貿易に関する一般協定)が発足して以来、多角的貿易交渉の中心的課題は、関税交渉であった。
 しかし、(1)「非関税障壁」と呼ばれる種々の措置や政策が自由貿易を歪めているとの認識、(2)農業における輸出補助金のように保護主義的政策が貿易摩擦を引き起こす可能性、(3)サービスの貿易や海外直接投資が拡大する中それらがGATTの守備範囲に入るものではなかったこと、などの問題点が指摘されて来た。
 そこで、これらの問題についても無差別の原則や内国民待遇を柱とする何らかの国際的なルールが必要と考えられて来た。かかる国際貿易を取り巻く種々の要請に応えるために開始されたのが、ウルグアイ・ラウンド交渉(以下、「UR 交渉」と称す)であった。
 UR交渉は、貿易自由化と貿易ルールの強化を目指し、1986年9月に開始されたGATTの第8回目の多角的貿易交渉である。1994年モロッコのマラケッシュで「最終文書」の署名が各国の代表により行われ、交渉は終了した。この交渉の成果として、物品の貿易、サービスの貿易、知的所有権の貿易関連側面などに関する諸協定が成立した。そして、これらの協定を実施するための制度的枠組みとして、1995年1月1日、世界貿易 (WTO) 機構が設立されたのである。
 GATTとWTOとの違いを一言でいえば、WTOは正式な国際機関になったこと、及び、規制の対象が知的財産権やサービスにまで及ぶようになったことであろう。

2 WTOの概要 

 WTOは、WTO設立協定及び協定に付属する物品の貿易、サービスの貿易、知的所有権の貿易関連側面などに関する多角的貿易協定の実施を容易にするとともに、これらの協定の目的を促進することとしている。また、加盟国の多角的貿易交渉のための場を提供し、紛争解決に関する規則及び手続に関する了解、ならびに貿易政策検討制度を運用する。
 WTOの機関としては、閣僚会議、一般理事会、物品の貿易に関する理事会、サービスの貿易に関する理事会、知的所有権の貿易関連側面に関する理事会及び事務局が設置されている。閣僚会議は、WTOの任務を遂行し、そのための必要な措置をとり、多角的貿易協定下のすべての事項について決定を行う権限を有している。
 WTO設立協定を批准すれば、この協定に付属している四つの多角的貿易交渉も、一括して批准したことになり、加盟国はこれに拘束される。ガッツ(GATS -Annex1B General Agreement on Trade in services- サービス貿易一般協定)も付属文書の一つである。
 GATSは、中央政府のみならず地域政府、地方政府(州や県など)及び政府によって委任された権限を行使する非政府機関(日弁連も該当する)を対象とし、これらはWTO上の義務を負う。
 そこで、業の国際法的枠組の基本は、1995年に発効したWTO下でのGATSにあるといえる。現在、WTOの作業部会とOECDでプロフェッショナル・ビジネス・サービス自由化協議が進行しているが、これらの協議がGATSに結実した場合には、国際法として、わが国における国内法に優先する効力をもつことになる。そこで、日本の業務も、WTO下における枠組みを模索しかつ決断する時期に来ている。


3 業務の開放の進展  

 日本の開放問題は、1980年代初頭の「日米通商摩擦」として始まり、「外国による法律事務の取扱いに関する特別措置法」(1986年5月23日公布、87年4月1日施行)で結着した(「外国問題」)。 また、1986年の米国政府による外国法事務制度規制緩和5項目の要求に端を発する、いわゆる第二次外国問題も、当初は「日米構造協議」の一環にすぎず、二国間の政治問題に止まっていた。しかし、1991年頃から、GATTのUA交渉が進展し、業務も新たなサービス協定の対象となることが明らかになるにことに伴い、業の国際法的枠組が問われることになった。
 日弁連は、UR交渉の進展に機敏に対応した。UR交渉が煮詰まりつつあった1993年10月、エビアンにABA(アメリカ法曹協会)、CCBE(ヨーロッパ共同体評議会)及び日弁連が集まった際、関係政府立会いの下、第二次外国問題決着の道筋について合意した。
 その結果、1995年1月1日、WTO条約の発効と同時に改正外弁法も施行されることになったのである。このように日本のは、引き続きWTOの枠組の中にとどまることになった。それゆえ「今後の第三次、第四次外国問題は、単に二国間の政治問題としてではなく、WTOによって法的に結着を迫られることになったのである。その影響は、外国法事務制度だけでなく、制度全般にも波及しうることになったといえるであろう」(川村論文)。 

4 PBSの規制

GATSの規制するサービスの対象は、(1)金融、(2)運輸観光、(3)通信テレコミュニケーション、(4)ビジネス・サービスの四つからなっている。
 このうち、(4)ビジネス・サービスは、(イ)コンピュータ関連、(ロ)技術開発・研究、(ハ)不動産関連、(ニ)レンタル・リース、(ホ)プロフェッショナル・サービス、(ヘ)その他、がある。は、会計士、税務、建築士、医師等とともに、(ホ)プロフェッショナル・サービスに属するものとされている。
 川村論文が、正当にも指摘するように、PBSは、企業や消費者の経済成長を助けるのみならず、先進国においては、それ自身が既に経済活動の重要な要素となっている(経済のサービス化)。1994年時点のアメリカの国際収支におけるサービス産業の比重の大きさについては、川村論文に紹介されているが、日本では、依然として低いレベルにおさまっている。平成10年度版の通商白書では、「サービス産業の競争力の弱さ」を一つの項目を構成し、その脆弱さに警告を発している(189頁以下)。
 さらに、川村論文によれば、わが国のリーガル・マーケット開放を促進する力は、英米の巨大ローファームであり、さらにその背後には世界の六大会計事務所が控えているとのことである。
 したがって、PBS貿易自由化の論議は、先進国(とくにアメリカ)の経済的利害に深く関わっているのである。


5 OECDのワークショップ  

 一方、OECDは、先進金持クラブといった性質のものであるが、そこでのワークショップの議論は、いずれ国際条約として成立する可能性が高いので見過ごせない。
 OECDワークショップの論議は、まずPBSが、業をはじめとして、その公共性、独立性、高度の教育水準、高度の倫理性という要素からして高度に規制された業種であり、職業団体の存在やその団体による大なり小なりの自治というものが認められるべきものであることを認めるが、その規制が過剰になりがちであるとして、その自由化を求めた。
 ワークショップは、規制解除の理想として資格の「相互承認」(MR)をあげている。
職業資格の相互承認とは、相手国で与えられた資格を自動的に自国でも有効なものとして認めることをいう。EC諸国では、いくつかのディレクティブによって相当に進行している等、OECD加盟国中、多国間や二国間条約で相互承認を全く認めないのは、日本だけとされている。
 相互承認ということになれば、加盟国の全がいつでもわが国においてと認められ、業を営むことができることになる。よって、現行の外国法事務制度などは意味を失ってしまう。
 OECDが、WTOの審議に先行してかかる具体的な自由化に踏み込んでいくことに対する慎重論があいついで、幸いワークショップでは、この問題に結論は出なかった。
 しかし、相互承認に代わって出てきた議論は、WTOの20世紀末に向けての自由化措置を推進するため、各国にあるサービス貿易に対する現実の障壁を列挙して、これを各国共通の障壁要素一覧表に整理しようとすることであった。障壁と認識されなければ交渉の対象にならないから、この一覧表の作成自体がGATSの再交渉の始まりといえる。


6 GATSが描く未来の像

 わが国は、GATS協定上、業に関し、(1)最恵国待遇(第2条)、(2)市場アクセスの自由化(第16条)、(3)内国民待遇(第17条)の三つの義務を負っている。
 最恵国待遇条項により、わが国はすべての加盟国のを公平に扱う義務を負っている。この趣旨は、既に、今次の外弁法改正によって外弁法2条の中に折り込まれた。
 市場アクセス自由化は、サービスの供給者数や供給数量等の制限、雇用に関する制限、法人やパートナーシップの形態を制限する措置、外資制限等の撤廃を意味する。
 市場アクセス自由化義務や内国民待遇は、GATSの付属文書である譲許表において明示的に留保しておけば制限措置を継続することができる。日本政府は、外国法事務制度について、第16条関連では雇用とパートナーシップの禁止を留保しており(外弁法49条)、第17条関連では180日居住要件(同48条)を留保している。
 これらの譲許表上の留保は、GATS成立後5年内のラウンドで再交渉することが条約上義務付けられているから、外弁法上の雇用、パートナーシップの制限は、ここ2年以内には再検討されることになる。

7 21世紀の像 

 以上の事実を背景として、21世紀のはどうなるか。
 この点、川村論文は、21世紀冒頭にはWTO体制下の「業国際化」の時代が到来するとする。そして、その時点では「われわれは国内において海外のローファームや外国と自由な競争の中で法律業務を行っているであろうと思われる」(川村論文)とする。他方、「しかし、その時には、わが国のもまた海外において自由に活発に活動することが保障されているはずである」(川村論文)と述べる。
 以上を報告者の言葉で言い換えれば、業務の国際的自由化とは、(1)日本国内におけるリーガル・サービスについて、日本のと外国(例えば、米国)のが自由に競争できること、及び(2)外国(例えば、米国)のいリーガル・サービスについて、外国(例えば、米国)のと日本のとが自由に競争できること、を意味するものと思われる。これを消費者または利用者の立場でいえば、日本で会社を設立したり訴訟を起こしたりする場合に、自由に日本のか米国のかを選べることであり、また、アメリカで会社を設立したり訴訟を起こしたりする場合に、自由に日本のか米国のを選べることをいう。
 結局、主張される業務の国際化、国際的自由化は、日本国内と外国という二つの側面から検討することが許されると考える。そこで、以下では、二つの側面において、どのように自由化が進行するかについて若干の検討を加えたい。

三 業務の国際的自由化

1 日本国内において

 日本国内において、外国人(例、米国)が活動するについては、現在、外弁法が規制している。
 しかし、前述したとおり、WTO体制の下では、遠からず相互主義の原理が取り入れられる可能性が極めて高い。
 この場合における状況として、二つのことを指摘しておきたい。
 一つは、司法試験に対する影響である。これまで日本の司法試験は、非常に難しい試験とされ、また司法研修所の収容人数という物理的制約から、毎年の合格人数は数百名に限定されて来た。しかし、相互主義が実現すると、何も日本の司法試験に合格しなくても、日本との間で相互主義を採用している国(とくに司法試験の比較的簡単な国)で資格をとり、日本で業務を営む者が増加することが予想される。現在でも、企業から米国に留学された日本人の何割は、米国で資格を取得しており、彼らは現在のところ日本の法律事務所では職員として稼働するしかないが、将来的にはとしての活動を始められることになろう。
 二つは、外国人でありながら日本の法廷に立つ者が、確実に現れるであろうということである。そのスピードは、日本人が考える以上に早いであろう。外国のは、これまでの日本のように特権階級ではないから、日本人が考える以上に、ドラスティックに日本に市場(働き場)を求めてやって来ることが予想される。
 ただし、以上の予測は、日本の経済や景気の動向にも大きく依存するであろう。日本は、既に先進国の仲間入りを果してから久しく、とくにいわゆるバブル崩壊以降 、経済発展に陰りが見える。現在の不景気を脱した後も、成熟した社会となっている以上、昔のような高度経済成長は、望むべくもない。この点は、中国などと好対照をみせるであろう。要するに、日本は、世界的にみて、すでに「うま味」のある国ではなくなっており、安定的で堅実な経済発展に伴う小さなパイを奪い合う(しかも外国も含めて)社会になるであろう。

 このように、日本の業務を開放することの意義は、日本国内では、日本の市場を奪い合う競争相手を増加させる結果となる。
 他方、外国人にとって日本に行くことに、日本法を学ぶというメリットは与えられない。この点、例えば、英国などでは、英国法を学ことは、アジアにおける旧英国植民地や、オーストラリア・カナダといったいわゆるコモンウェルスの国々でリーガル・サービスを提供する場合にメリットがあることと、全く異なっているように思われる。いくら日本法を学んでも、アジア諸国では通用しないからである。

2 海外において 

 川村論文は、日本(日本人?)のが、海外でも活躍することを期待しているが、その可能性は、残念ながらそれほど高くなさそうである。
 報告者は、この川村の楽観的予想が実現するには、三つの障害があると考えている。すなわち、(1)言葉の障壁の問題であり、(2)国際的感覚欠如の問題であり、(3)リーガル・マインド欠如の風土の問題である。
 まず、(1)言葉の問題であるが、日本人が外国語(例、英語)下手であることは、国際的に有名であり、例えば、TOEFLの受験生の平均点も、最下位に近い数字と発表されている。その原因については、いくつもの研究が行われているが、簡単にいえば、外国語を会得する必要性がなかったからではないか。日本では、外国の文献を翻訳家や専門家が日本語に訳してしまうため、これら以外の者は英語など外国語を話せなくても済んでしまうのである。
 これに対して韓国では、司法試験の科目に英語があるので、受験生は、受験の相当な時間を英語に費やさねばならない。 東南アジアにおいても、いわゆるピジン・イングリッシュは、

、共通語になりつつある。
 このような情勢から、報告者は、常々、国際人の水準は、英語プラス一カ国語になって来ていると考えられる(その意味からすると、かえって英語を話すアメリカ人やイギリス人にディス・アドヴァンテージがある)。そうした意味からすると、日本人も英語を読み書きする能力の涵養に努めるべきである。
 かかる観点からは、司法試験に英語(など外国語を一科目選択)を課すことが必要ではないかと思われる。ただし、先述したような外国で資格を取得した者が日本で活動するようになれば、様子も相当変化するであろう。

 次に、(2)国際的感覚についてであるが、これも日本人には、耳の痛い問題である。報告者が、かつてイギリスで暮らしていた時、ヨーロッパの人たちが、アジアに詳しいのに、大変、驚いた。それは、彼らの国のかつての植民地がアジアにあるからであろうが、アジアに住んでいる日本人よりも、よほど詳しいのである。
 例えば、アジアといっても、中国及び中華圏、意外と多いイスラム圏、インドを中心とするヒンズー圏及び日本や朝鮮といった東アジアに分かれるが、その違いも、日本人が意識している以上に、(とくに宗教的基礎のある)欧米人は理解している。
 報告者は、時々、友人に次のような笑い話をする。インドのハイデラバードから飛行機に乗ったところ、右に座ったのが南インドのタミール人、左に座ったのがイラクからの行商人でした。さて、機内食には何が出たでしょうか、答えは、チキンである。その理由は、ビーフであればヒンズー教のインド人は食べられず、ポーク教であればイスラムのイラク人は食べられないからである。このような話を聞いて納得する者は、明らかに外国人に多く、日本人にはどうもピンと来ないらしい。これで一事が万事ではないが、日本人の常識のなさ(とくに宗教的感覚のなさ)に考えさせられる。

 最後に、(3)リーガル・マインドの欠如である。 日本人は、謙譲をもって美徳として来た。自己の権利主張さえも十分にして来なかった。このことが、これから外国へ出ていく際に、非常にマイナスとなって現れるように思える。
 この日本人の法律に対する態度は、法社会学及び法哲学全般につらなる大きな問題であるので、直ちに結論を導くことはとてもできそうもないが、少なくとも日本人は、自分たちと異なる習慣・生活様式を持つ者がいること、そして世界的にみればむしろ日本人のような生活習慣が少数派である可能性が高いことを認識する必要があろう。

3 結語

 最後に、将来の像をいかに考えるかは、将来の日本をどのように位置づけるかに深く係わっている。
 報告者は、常々、資源を持たない日本は、シンガポールやヨーロッパにおけるオランダ・ベルギーのような国になるべきだと考えてきた。
 かつて、英国最大の法律事務所であるクリフォード・チャンスを訪問し、そこで働く日本人からお話をうかがう機会があったが、全く同様のことを言われたので、大変驚いたことがある。今や、ベルギーは、EUの交通の要として、ヨーロッパ研究のメッカとなっている。一時期、もてはやされた言葉であるが、「ハイテク」技術が進むほど、「ハイタッチ」感覚で人が恋しくなる。 E-mailで知り合った人と日本で会うなどという時代が来ればいいなあと思っている。
 ただし、シンガポールのようなあまりにも小さくて人工的な国は、半日だけで疲れてしまう。その意味で、歴史とまだまだ自然の残る日本は、可能性があると思う。現実に、日本の経済発展に期待して、日本にやってくる外国人も多く存在する。したがって、に与えられる仕事も、変化はしていくだろうが、確実に存在するといえる。
 例えば、米国では、巨大な商業用不動産市場が形成され、不動産投資は債権や株式投資と並ぶ資金運用の一手段となっている。一方、日本には、現在、商業用不動産市場自体が存在しない。ただ、不動産証券化の潮流や外圧の状況を勘案すると、約10年後には整備され、米国におけるRIET(不動産投資信託)のように証券市場に上場されることも予想される。このように、閉塞したといわれる社会にも、ビジネスチャンスは残っているともいえる。
 要は、従来の仕事を着実にこなしうること(ひいては外国人のニーズにも奉仕する-日本語を理解する外国人も訴状はなかなか書けない)とともに、新しいニーズを見つけだして行くことが必要になるであろう。
 ところで、川村論文は、PBS貿易の特殊性として、(1)個人のプロフェッションによるサービスであること、(2)道義性が高く経済原理だけでは律しきれないこと、(3)英米のプロの集団化が図抜けていること、をあげる。そして、このような特殊事情を抜きにして無条件に競争原理を働かせることは妥当でないから、WTO等のような多国間交渉が妥当であろうとする。
 報告者は、の一人として全くそのとおりと考えるが、ただ、活動の特殊性をあまりに強調しながら、反面、、

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適正なリーガル・サービス提供に向けた切磋琢磨を怠らせる口実になってはならないと考える。


以  上 

            池 田 崇 志  
(大阪会所属・) 

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